梅谷家~梅ヶ谷津偕楽園

<梅谷家~梅谷津偕楽園>
 平戸の豪商,近藤慶吉によって江戸時代末期、文政13年(1830年)に藩主別邸として建設され、 時の藩主松浦熈公に献上されたものである。
 表向きは、火事の時の避難場所と成っているが、現実には各地から文化人を集めて蹴鞠の会、歌 の会、お茶の会などを開き、他藩の情報の収集に努めると共に、産業育成のため、敷地内に焼き 物の窯を設置したり、和紙の原料となる梶の木の苗木の育成配布,新田開発のため石垣(オラン ダ式)の築き方を例示する等、農業試験場的役割も兼ねていた。
 絵図面によると、面積32000㎡の斜面に、母屋、茶室、月観櫓、蹴鞠場等が設置され、庭木は、 桜、梅、桃が直線状に植栽されて、ヨーロッパ式の庭造りになっており、鎖国時代、長崎以前に ヨーロッパと交易のあった平戸ならではの庭園である。
 母屋は、当時のまま保存されて展示館となっており、藩主の茶道具、陶磁器、参勤交代の土産で ある版画絵、当時の生活用具等500点ほどが展示されている。二階からは、平戸の山並、平戸瀬戸,九州本土、九十九島等が一望でき、藩主になった気分が 味わえる。
 10年程以前に、建物、来客専用道路、稲荷社、乱れ築(石垣)が有形登録文化財、県の景観資産に 指定され、平成23年、藩主私邸である「棲霞園」と同時に文部科学省から「名勝」に指定されている。
国登録有形文化財 県景観資産登録