昭和14年(1939)建築、木造2階建、瓦葺、
旧平戸藩士の家系で当時の鉱山技師で鉱山経営者だった鮎川甚五右衛門によって建てられた。武家屋敷の名残で主賓用と通常用の2つの玄関がある。贅沢を尽くした雄大な造りであるが、欄間や雪見障子などの細工が入念に施されている。
設計者は旧大阪市役所を設計した小川陽吉氏。
玄関前の石垣や石段に、鷹島から運んだ「阿翁石」と呼ばれる玄武岩が使用され、6角形に加工した石を積む「亀甲積」など凝った施工がされている。
通用門入り口には先祖の石碑「土田古弓」(弓の名人)と「鮎川山人」(山鹿流兵法修学者)があり、その碑を見守るように大銀杏がそびえる。
国登録有形文化財、県景観資産登録
平戸市田平町山内免742番地