所在地
長崎県平戸市岩の上町
志自岐家の祖は平戸島の最南端にある志自岐神社(式台社;延喜式社名帳に載る元宮内庁管轄)とその
近郊を治める荘管であった。
神社の祭神である十城別王(トオキワケノオオ)の家臣で宮司も兼ねていた。
その後、平戸松浦の戦国大名化に伴い23代覚翁弘定のころ家臣となり代々藩の要職を務める家老格の家柄である。
建物は天保10年(1839)の建築でほとんど当時のまま残っている。
冠木門は平戸瓦葺きで、その中央から朝日が昇る。
庭の奥には志自岐神社を祀り、周りには3種の竹、笛槍、正月用がある。
1825年異国船打払令が出され、当時の役柄で海賊の見張りをしたと伝わる遠見台(展望台)がある。
平戸ツツジを代表する原木「夕陽(せきよう)」や柴も通年、お盆、正月用と3種、飢饉用に果実、茶畑と、昔は自給自足を旨とした庭造りをしていた。
庭の中央にはオールドローズ、柊、もっこくの古木、また高さ7m、長さ40mの槇垣は海からの風を防ぐ防風林でこの屋敷を守っている。
溝の中にも当時の石工の仕事を見ることができる。