熊沢三郎の功績

植物分類(蔬菜品種の分類)学者としての 熊澤三郎先生の功績
人格は円満で清廉潔白で旺盛なる研究と創造力に優れ、将来を洞察した計画と指導性に富み、真に農民を愛した。

1.農林行政上特に有益な考案又は改良の生態分化に基づく蔬菜品種の分類に関する研究。
 従来形態的にのみ扱われてきた蔬菜の品種分類に対し、初めて遺伝生態的品種分化に基づく分類を提唱し、長年の調査研究により全国の蔬菜品種をこの体系によって分類した。
 これは、現在の蔬菜品種分類並びに栽培上における品種の選択や育種の基礎となり蔬菜園芸に新生面を拓いた。これがために、昭和10~12年に日本蔬菜の根源をなす北支、中支、南支の蔬菜調査を行い本課題の基礎概念を把握した。

2.蔬菜の育種に関する基礎的研究
 蔬菜育種の基礎問題である内婚問題、自然交雑、受粉操作の研究を行い現在の蔬菜育種体系の基礎を拓いた。

3.蔬菜品種の導入と育種
 台湾、中国、満州の植物探検をおこない優良品種を導入し、育種素材に供すると共に馴化させて数多くの新品種を育成する基礎とした。
[おもな品種] 
 ほうれん草「頂上東湖(萬城)」 里芋「島幡」の導入 胡瓜「四葉」「満州秋」「近代四葉」などの育種に成功 又、玉らっきょう、はなやさい「カーランジア」を導入して9月出荷の栽培が可能となった。その他 苺、腕豆、つつじ、ガーベラ等の育種と計画指導など、 有望品種の育成に成功した。

4.試験場などの新設並びに運営
①台北農事試験場の新設
②園芸試験場二宮種苗育成地の新設
③園芸試験場九州支場の新設
④九州農業試験場の運営  
昭和31年以降農業試験場長としてその試験研究を推進し南海畑作部及び紅茶部を新設した。
⑤作戦地における現地自活の計画、指導、実施。
⑥戦時農園の指導。

ツバキ・ハルサザンカの調査・研究

□ツバキ
【昭和47年】
 平戸の人びとの間では、早くから白ツバキが愛好されていた。
 これは、松浦藩28代松浦鎮信(天祥)公によって創設されていた茶道鎮信流が平戸を中心に継承されていたためである。
 熊澤三郎氏は自生のツバキの調査を、平戸市役所の小田護氏に指示し、2年をかけて109個体を確認した。
 この中より「鎮信」「密姫」「網館」を命名するに及んだ。   

□ハルサザンカ
【昭和49年~】
 この年、東京農工大の箱田直紀氏の来訪を受けてハルサザンカの存在を確認する。その後は熊澤氏と小田氏の調査はハルサザンカに主力が移った。
 その結果3種がみつかり箱田氏の鑑定でこれまでの品種でないものとわかり、平戸の原産種ではないかと熊澤氏の夢はふくらんだ。 早速、園芸植物の細胞遺伝学研究者の九大農学部上本俊平氏との共同研究が展開される。その後、熊澤氏と小田氏は調査を続け2種を見つけた。
 平戸の5種のハルサザンカは九州大学の染色体の調査により染色体が60のものが3種、45のものが2種でいづれもかなり年月を経たもので原木であると認められた。熊澤氏はこの5本の原木に名前をつけ 「凱旋」(がいせん)「星姫」(ほしひめ) 「望郷」(ぼうきょう)「佐用姫」(さよひめ)「幽玄」(ゆうげん)とした。このことは花木史上画期的な大発見であった。